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帝王と呼ばれた指揮者

 今年は、カラヤン生誕100年ということで、関連の
書籍がいくつか出されたり、テレビで取り上げたり
している。自分にとってのカラヤンは、お気に入りの
指揮者ではないが、聴き易い音楽を組みたてる指揮者
である。とくに好きとか嫌とかでもない。

 自分はベルリンに住んでいたことがあり、当然、そこ
はカラヤン=ベルリン・フィルのお膝元であった。
ベルリンフィルハーモニー・ホールにも何度か出かけた。
記憶にあるのは、バレンボイムの演奏。モーツァルト
だったか。カラヤンはそのころあまり、出ていなかった
ように記憶する。体調がよくないという噂もあった。
ふりかえってみれは、当時は、カラヤンの晩年にあたる。
クラシック好きのミーハーな知人は、「カラヤンもそろ
そろ危なそうだから、見ておいた方がいい」などという
よけいなおせっかいのアドバイスをくれたが、実際、
自分がベルリンを離れた翌年、1989年に、カラヤンは
亡くなってしまったから、いちども演奏を見ることは
なかった。

 カラヤンは、死ぬ前日まで、ソニーの大賀会長と
LDだかの打ち合わせをしていたという。ビジネスマン、
セールスマンという陰口をいわれていたが、クラシック
界のスーパースター指揮者であった。
 この小柄で端正な容姿のアルメニア人は、ウィーン
の人間らしく、数カ国語を操り、外交術にたけていた。
ふりみだす長髪が芸術家の風貌を描いたが、
外見的には、羽振りの良い医者のような風貌だった。

 カラヤンの功罪というようなことがいわれるが、功績
は評価されるべきだと思う。カラヤンがいなければ、
もっと早くクラシックは衰退して行ったかもしれない、
というのは大げさだろうか。
 もとナチ党員、ファッションモデルの妻、スーパー
カーにヨットに自家用飛行機、というスピードへの
愛好。サンモリッツ、サントロペ、ザルツブルクの
派手で空疎な別荘、こうしたものをひとつにまとめた
独裁者的なキャラクター、その自己顕示性。強い編集
志向。いったい彼は芸術家だったのか、ショーマン
だったのか。

 カラヤンの自作自演の映像は、タクトをふる自分の
手をクローズアップさせたりするような、「音楽の映
像化」だが、それは今見れば、さほど面白い物ではない。
その過剰な演出ゆえ、陳腐で仰々しく見え、ずっと見て
いると退屈でもある。しかし、この時代に、カラヤンと
いう人がこういうスタイルで、音楽の仕事を映像で残そう
としたという試みの記録という意味で興味深い。

 カラヤンの伝記、評伝はたくさん出ているが、なかでも
ロバート・C・バッハマン著、横田みどり訳の「カラヤン 
栄光の影に」(音楽之友社 1985年)は書かれ方が
ユニークだ。カラヤン本人の許可と協力を得て書き始められ
たものの、途中で書き手のバッハマンとカラヤンの関係が
悪化。しかし、本の計画は、そのまま続行され、「非公認」
の伝記として続行された。そのせいもあってか、後半には
カラヤンへの批判が連綿と執拗に綴られ、カラヤンとナチ
との関係文書のコピーまで巻末についているという、すごい
構成だ。

 自分はカラヤンのCDを一枚だけもっている。それも
通ぶったクラシック・ファンやクラオタと呼ばれるコアな
聴き手が見向きもしないような一枚。「アダージョ・
カラヤン」だ。単にアダージョをまとめて聞いてみたいと
思ったとき、身近にあったから買った、中古品だ。
それも6年ほど前に一度聞いただけである。
 カラヤンの仕事のスタイルからいえば、こういう「編集
された仕事」こそが彼の本領だったのではないかと思えて
くる。その意味で、また改めて聞いてみるのも悪くない。

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