DVD「善き人のためのソナタ」を買って、見た。
とても良い邦題だと思う。原題は、Das Leben der Anderen
だから、他人の生活という意味。暗示的だが、われわれ日本人
にとっては地味な感じにみえる。邦題のほうがだんぜん格好いいし、
含蓄がある。
舞台は崩壊前の旧東ドイツ、東ベルリンの秘密警察、シュタージの
大佐が、劇作家と女優の生活を盗聴する仕事をしていくなかで、
この三者を中心にさまざま出来事が波紋をひろげていく。また、
主人公である盗聴者、ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)
の心にも変化が起こる、というストーリー。

シュタージといえば盗聴、密告、検閲、尋問その他
あらゆる手段で東ドイツの国民の生活をチェックし、
コントロールし、縛りつけていたことで知られる。
市民の日常生活の情報のすべてをファイルにして保存も
していた。
話がわきへそれたが、「善き人のためのソナタ」は
よく出来た映画だ。
配役がすばらしい。ヴィースラー大尉を演じた、ウルリッヒ・ミューエ
は、実際に東ドイツ出身で、ブルーカラー出身の名優である。英語圏で
いうと、ベン・キングスレーを思わせる風貌で、この役にぴったりの
強い印象を残す。もし英語圏でこれをリメイクするなら、キングスレーか、
「アマデウス」でサリエリ、「薔薇の名前」で異端審問官を演じた、F・
マーリー・エイブラハム、またはジョナサン・プライス あたりが適役だ。
劇作家役のセバスチャン・コッホは、ドイツ映画では、おなじみの
二枚目。最近では、「ブラックブック」に出ていたし、ケストナーの
児童文学「飛ぶ教室」でも重要な役をやっている。女優のマルティナ・
ゲデックは、「マーサの幸せレシピー」のときとはまったく違うキャラを
魅力的に演じていた。(これまで列挙した作品は、うちにDVDがあるもの
ばかりだが)
僕が西ベルリンに住んでいたときと、この映画の設定時期(1984年〜)
は、重なるが、画面に出て来る風景(演出が入ったものであるにしても)
に懐かしさも感じる。僕が、実際に東ドイツに行ったのは、たった三度きり。
しかも、毎回ワンディ・パスポートを発行してもらっての半日旅行だった。
行ったのは東ベルリンの博物館の島、それとデッサウ。
かつてのベルリンというのは特殊なところで、知っている人は知って
いるが、ベルリンを挟んで東西にドイツが分断されていたのではなく、
東ドイツにあったベルリンが壁で西ベルリンと東ベルリンに分けられて
いた。つまり、西ベルリンに住む人は、陸の孤島にいるのも同然だった
のである。そこだけは兵役も免除されていた。
西ベルリンのライヒスターク(国会議事堂)の近くの西側の壁には、
階段とお立ち台があって、そこから西のひとびとが東の様子を眺める
ことができた。
西側では、ベンツがタクシーとして走っていたが、東では、プラス
チックのわれもののような大衆車トラヴァントが、整備のされていない
路上をガタピシと排煙を出しながら走っていた。(この映画にもそう
いうシーンが出て来る)
東側では暖房等では石炭をつかっていて、空気が悪く、風景も
煤けてみえた。ちょうど、この映画での色調と同じように。とくに、
秋から冬にかけて、街はモノクロマティックになるのだった。
ヨーロッパの街は、夜が暗い。道路のペイヴメントが光るくらいで。
その感覚も、この映画を見て思い出した。
話が脱線し過ぎた。
この物語での盗聴者は、悪魔であり、神でもある、と言えるだろう。
神はひとびとの日々の声に耳を傾ける。と同時に、声とは神であり、
人々の魂である、そんなメタファー。
西欧の神は、ヤハウェのように声として託宣をあたえ、あるいは
モーゼにも語りかけた。日本でも、しばしば新興宗教などで、
神の声を聞いた人が開祖となって宗派が形成されたりする。
神は人の言語を理解するのか、人の声を借りて神が語りかけるのか。
(神の声を人が聞くことができるということだけを単純に取り上げて
みれば、それは、神が人智を超えた超越者ではありえない、という神の
否定の根拠ともなりうるだろうか、実存主義的な意味で)。
ブロッホという作曲家に「コンチェルト・グロッソ」という曲が
ある。初めて聞いた時、天国へのぼるような、あるいは逆に、
神が上から降りてくるような感覚を感じた。
この映画のサントラはなかなか良く、それを聞いた人は善人になる、
というソナタもうまく使われていた。
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